天理大学学報, Tập 17,Số phát hành 5天理大学, 1966 |
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Trang 208
... 存在キリスト教的実体主義の本質―――」本学報第一七巻第一号(第四七輯)一五六一一七三頁参照。( 2 )近世の存在の思考については拙稿「主体主義の本質」本学報第一六巻第二号(第四五輯)七七一九二頁参照。立実体の思考と根源的な存在の思考にはこのような ...
... 存在キリスト教的実体主義の本質―――」本学報第一七巻第一号(第四七輯)一五六一一七三頁参照。( 2 )近世の存在の思考については拙稿「主体主義の本質」本学報第一六巻第二号(第四五輯)七七一九二頁参照。立実体の思考と根源的な存在の思考にはこのような ...
Trang 209
... 存在を主客対立性において考えるのは思考から存在を考え、思考において存在を考える考え方である。思考という働きに基づいて一方にその働きを行なう主体と他方にその働らきの向けられる相手である客体が成立し、それぞれ主体の存在と客体の存在が考え ...
... 存在を主客対立性において考えるのは思考から存在を考え、思考において存在を考える考え方である。思考という働きに基づいて一方にその働きを行なう主体と他方にその働らきの向けられる相手である客体が成立し、それぞれ主体の存在と客体の存在が考え ...
Trang 215
... 存在の思考であると同時に存在者の思考であり、形象的存在者を通して存在を考える思考だつた。自然の思考に由来するこのような混在的な考え方はソクラテスの人間の思考によつてより純化されたが、プラトンになっても全く排除されるほどにはならなかった ...
... 存在の思考であると同時に存在者の思考であり、形象的存在者を通して存在を考える思考だつた。自然の思考に由来するこのような混在的な考え方はソクラテスの人間の思考によつてより純化されたが、プラトンになっても全く排除されるほどにはならなかった ...